昔なら大旅行かな・・・2013年05月28日 12時42分

昨日27日は久しぶりに生まれ故郷の勿来(いわき)まで常磐高速を用いて行ってきましたが朝は6時出発だった物の夕方6時には帰ってきました。
東京の多摩地区からいわき市と言うと昔は大旅行でしたね、上野からは準急・・後に急行となった「ときわ号」での旅でした、今は車でスムーズに走れれば4時間程度で行けるのですから便利になった物です・・。

生まれ故郷へ・・・2013年05月28日 23時45分

27日・・私は福島県の勿来、いまのいわき市が出身ですが当時父親の働いていた炭坑で一緒に機関車を運転していた父の親友が永眠しその葬儀に父を乗せて行ってきました。
震災後初めての生まれ故郷・・よく見るとまだ震災の傷跡が残っている・・震災後に店を閉めてしまった所もあり私が住んでいた通称「蛇山」の下にあった和菓子店も閉店していた。
足の弱ってしまった父親は最初行くことをためらったが心残りにならないよう告別式に行こうと勧めた、足以外にトイレが近くなってしまったのも動きづらくなった要因だが「高速道路の各パーキングエリアに止まっても良いから・・コンビニも有るし。」と。

告別式は一般の参列者が少なかった・・既に炭坑時代の有人は他界してしまった方が多いと聞きましたのでその為かもしれません。
私も小さい頃からの親しみも有る方で東京に出てきた時には家に泊まったり逆に福島へ行ったときにはお邪魔させてもらったり・・ご自身でもクラリネットを吹かれていてジャズが大好きな方・・数年前私の車でご一緒したとき車の中に流れていたビッグバンドジャズを喜んで聴いていた事が思い出される・・。

焼香のため車椅子に乗せた父親を私が誘導し母親と共に祭壇に近づいたら喪主の奥さんが父親に駆け寄ってきた・・父の参列を「1番喜んで居るのは永眠してしまった本人です・・」と車椅子の父親に抱きつき涙を流されていたのを見て私も涙腺の安全弁が飛んでしまった・・父親の涙を見たのは初めてかも知れない・・。
別式でのお孫さん2人による「お別れの言葉」も辛かった・・式場のあちこちから鼻をすする音が・・私も同じ状態に。

地域の違いなのか既に荼毘に付されていて最後のお別れという儀式は無く「お顔」見ることが出来なかったのがちょっと残念だった様子・・退場していく遺影をしばらく見させてもらった父親、何かとても小さく見えてしまった・・。

自宅に帰ってきて父親から「行って良かった・・」の言葉が聞けただけでも早朝からの運転は疲れたけど休みを取り父親を連れて行けたのは良かったと思う・・。

今回の日記は重苦しい内容になってしまいました。