お墓参りとお墓掃除・・・2013年05月20日 01時41分

19日、先週の予定だったお墓参りが天気の都合で今日にずれましたが第2日曜日から外れたので両親を乗せて行くことが出来ました。
このお墓参りは以前もちょっと書いた気がしますが母親方の親戚が持つお墓でそのため名字が違います、小さい頃からお墓参りと言うと母方のお墓でした。
場所はJR南武線の津田山駅が最寄り駅、山全体が墓地という所でこの列にそのお墓が有ります。
昔は駅からけっこうな距離を歩いたのですが今は車で行けるようになりました。
そのお墓付近から見える風景・・
こんな感じで見える範囲墓石だらけです。
これでもほんの一部・・昔はここから南武線を走る電車も見えたのですが手前に建物が出来てしまい今は見えません。

このお墓参りを終えて集まった親戚との昼食後は八王子の外れまで走り今度は自分の家のお墓を掃除に・・このお墓はまだ誰も入っていませんが時々掃除に行っています。
お墓からは圏央道がよく見え車の走る音が聞こえてきます、健在な内にお墓を作っておくと長生きが出来るとも言われます、万一の時にドタバタしてしまい葬儀店に振り回されることも無く安心できます。

次回は秋かな・・お墓参りもお掃除も・・。

気持ちの良い汗と鉄分と・・(前)2013年05月20日 23時39分

日にちが前後しますが(何時もの事かな)18日土曜日は初めて秩父鉄道のイベントに行ってみました、ただ会場の広瀬川原車両基地の場所と位置関係を勘違いしていて自宅からはかなり遠いことが解り今回は場所の確認程度となってしまいました。
それでも今回が最後と言われる元国鉄の101系電車だった1000系の3本並びなど辛うじて見ることが出来ました。

自宅最寄り駅拝島から今回は八高線で出発・・
来たのは元臨海高速鉄道の車両を用いた209系3100番台車、お顔に名残が残ります、途中高麗川にて110系気動車に乗り換え寄居駅まで向かいそこから秩父鉄道へ・・
途中駅ではこの様な車両も見られました・・
今となっては貴重な私鉄の電気機関車、少なくなったと言ってもまだ秩父鉄道では多くの機関車が見られます。

広瀬川原車両基地は「ひろせ野鳥の森駅」と「大麻生駅」の丁度間くらいで歩くと15分程かかりました。
カラフルな電気機関車が並びます・・
デキ100形、200形、300形、500形が展示、通電され前照灯点灯されての姿。


そして今回が最後と言われる1000系電車の並び・・
今後徐々に運用を離れ今年度中には見られなくなるとか、数ショット撮影直後に展示は終了となりロープで仕切られてしまいました、前照灯は消えてしまいましたが何とか並びは押さえられた。
この直後にバッタリとマイミクさんと会うことに、来場していることは知っていましたがこの凄い人混みでお会い出来るとは・・。

秩父鉄道と言えば蒸気機関車C58形牽引の「パレオエクスプレス」が有名、そのC58ももちろん展示され時間限定でキャブ内の見学もしていました。
キャブ内見学終了後の姿・・・
何と「門デフ」にJNRのロゴが入った姿・・良いですねコレ、1ヶ月限定ですがこの姿で運用に付くそうです。
しばらくはまた沿線にカメラの砲列が出来るかな?。
ロッドの位置も演出なのか格好良く見える角度に、後ろには貨車も連結されて貨物列車風・・手前の柱が残念ですが機関車の上に架線もなく空がスッキリと見えます。
反対側から・・逆光なので難しい・・
こちら側はロッドの位置が重なってしまいました、露出を変え何枚か撮影しましたがこんな程度、黒いのでオートでは辛いかも。

1000系電車は送迎用の臨時列車にも使用され撮影終了後は仮設タラップを用いて来場者が乗車。
第1便は白い編成・・少し手前に移動しタラップにて乗車、西側踏切からの撮影。
レンズをフィルムカメラ用70~300mmに切り替えテレ側一杯でブルーとオレンジを撮影、ニーショットから立ち上がるとここでもマイミクさんとバッタリ・・凄い確率かも。(^^ゞ

この後は先にお会いした西武鉄道関連のマイミクさんと共に「大麻生駅」へ移動し臨時列車を捉えて見ることに・・お話では「大麻生駅」の方が少し近いらしい。
先ずは7500系を狙ってみる・・
元東急の8090系ですが既に秩父の顔となっている感じ・・「のだめ」のヘッドマーク付きでした。

そして1000系の臨時影森行き・・
乗りたいですね、今少し運用されそうなので乗りに来たい。

マイミクさんはこの後高崎線沿いまで貨物列車などの撮影に行くと言うことで併結させていただき撮影ポイントを教えてもらうことにしました。
大麻生駅から熊谷に向かうとその構内には1000系の白編成が留置中、臨時運用を終えて休んで居たところにオレンジ編成も転線して並んで留置されました。
ここでもカメラを持った方がけっこう居ましてちょっとした撮影会に・・お顔に架線構造物の影が出てしまいちょっと残念ですが。
日本車輌、昭和37年の銘板・・
既に半世紀以上走り続けてきた強者・・最後まで事故や故障が無く走って欲しいと願っています。
この後は高崎線の沿線へ・・・。