生まれ故郷にはまだ傷跡も・・ ― 2013年05月31日 23時36分
5月もいつの間にか通り過ぎてしまいました、世の中が少し動き出したのは良いけどいきなり立ち上がると人のように立ち眩み起こしてしまいます。
毎月月末だけドタバタ忙しくなってしまうのは自社で製造をしなくなっているからで組み立て協力会社から月末近くにドサッと入荷してくるので・・。
27日に父親の古くからの友人に別れを告げた後自分の生まれ育った所を車で一回りしてきました、まだ古くからの炭坑住宅も少し残っていますが炭坑の跡地や不要の土などを積み上げた通称「ズリ山」も殆ど解らなくなっている・・。
廃屋となった店はうっすらと記憶に残っている物と一致し懐かしくもありちょっと寂しくもあり・・自分の卒園した幼稚園は少し場所を変えていましたが規模が大きくなってまだ存在していた、丁度通りかかった時は園児皆さんお帰りの準備中でした・・懐かしい。
以前の日記にもアップしましたが炭坑から国鉄の勿来駅まで石炭を運んだ専用線・・
毎月月末だけドタバタ忙しくなってしまうのは自社で製造をしなくなっているからで組み立て協力会社から月末近くにドサッと入荷してくるので・・。
27日に父親の古くからの友人に別れを告げた後自分の生まれ育った所を車で一回りしてきました、まだ古くからの炭坑住宅も少し残っていますが炭坑の跡地や不要の土などを積み上げた通称「ズリ山」も殆ど解らなくなっている・・。
廃屋となった店はうっすらと記憶に残っている物と一致し懐かしくもありちょっと寂しくもあり・・自分の卒園した幼稚園は少し場所を変えていましたが規模が大きくなってまだ存在していた、丁度通りかかった時は園児皆さんお帰りの準備中でした・・懐かしい。
以前の日記にもアップしましたが炭坑から国鉄の勿来駅まで石炭を運んだ専用線・・
反対側の窪田町方向・・産婦人科が見えますが実は私が生まれた病院だったりします、昔はもっと小さな医院でしたが立派なクリニックになっている。
コンビニの駐車場からの撮影ですがコンビニが有る場所は昔田んぼの真ん中だった・・数年前に来たときはまだ無かったコンビニでした。
震災後初めての勿来でしたがよく見るとまだ震災の傷跡が・・瓦がずれ落ちてそのままの家も見られましたが家具は見られる物の生活している様子が無く避難されたままなのか・・震度は大きかったけど建物の倒壊などは殆ど無かったと聞きました、しかし室内は凄いことになった様です・・それより「風評被害」の方が大きく物資がなかなか届かなかったとか。
時間があればもう少し走りたかったのですが父親の体力が落ちてしまい断念、また改めて灯台や港に行ってみようかと・・臨海鉄道も有ったなぁ。
コンビニの駐車場からの撮影ですがコンビニが有る場所は昔田んぼの真ん中だった・・数年前に来たときはまだ無かったコンビニでした。
震災後初めての勿来でしたがよく見るとまだ震災の傷跡が・・瓦がずれ落ちてそのままの家も見られましたが家具は見られる物の生活している様子が無く避難されたままなのか・・震度は大きかったけど建物の倒壊などは殆ど無かったと聞きました、しかし室内は凄いことになった様です・・それより「風評被害」の方が大きく物資がなかなか届かなかったとか。
時間があればもう少し走りたかったのですが父親の体力が落ちてしまい断念、また改めて灯台や港に行ってみようかと・・臨海鉄道も有ったなぁ。
コメント
_ (未記入) ― 2015年09月04日 01時55分18秒
_ (未記入) ― 2015年09月10日 23時08分18秒
渡辺正様、初めまして、またご訪問有り難うございました。
コメントのお返しが遅くなりすいませんでした、この所訪問者も無くコメントも無かったため半ば放置状態になっていました。
私は四沢の通称「蛇山」、現在の潮見台に居ましたが父親が炭鉱に勤めていましたが閉山と共に小学校1年の途中で東京に出てしまいました。
炭鉱の専用線は私が物心ついた時既にレール幅が国鉄の幅に変更され大型の機関車が入っていたため残念ながら父親が運転する機関車は見て居ません。
炭鉱関連の書籍はその本を編集などを行っていた方が知り合いで、父親が撮影した写真や本文に書いています父親の仕事仲間だった機関士さんが撮影した写真を提供し、出版された本を頂いたり購入した物が少々有る程度です。
いわき地区の各炭鉱を記録した本で勿来の大日本炭田はそのごく一部となっています。
私は現在東京都下の多摩地区に住んでいますので勿来とはちょっと離れている状態です、それでもブラリと日帰りで出掛けることが有ります、渡辺正様はいわきにお住まいなのでしょうか?。
後ほどこのコメント欄にご記入頂いたアドレスにEメールを出させて頂きたいと思います、アドレスは私のみが拝見できますが念のため拝見した後にアドレスだけをコメントから削除し万一にも迷惑メールの元にならないようにいたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
コメントのお返しが遅くなりすいませんでした、この所訪問者も無くコメントも無かったため半ば放置状態になっていました。
私は四沢の通称「蛇山」、現在の潮見台に居ましたが父親が炭鉱に勤めていましたが閉山と共に小学校1年の途中で東京に出てしまいました。
炭鉱の専用線は私が物心ついた時既にレール幅が国鉄の幅に変更され大型の機関車が入っていたため残念ながら父親が運転する機関車は見て居ません。
炭鉱関連の書籍はその本を編集などを行っていた方が知り合いで、父親が撮影した写真や本文に書いています父親の仕事仲間だった機関士さんが撮影した写真を提供し、出版された本を頂いたり購入した物が少々有る程度です。
いわき地区の各炭鉱を記録した本で勿来の大日本炭田はそのごく一部となっています。
私は現在東京都下の多摩地区に住んでいますので勿来とはちょっと離れている状態です、それでもブラリと日帰りで出掛けることが有ります、渡辺正様はいわきにお住まいなのでしょうか?。
後ほどこのコメント欄にご記入頂いたアドレスにEメールを出させて頂きたいと思います、アドレスは私のみが拝見できますが念のため拝見した後にアドレスだけをコメントから削除し万一にも迷惑メールの元にならないようにいたします。
今後ともよろしくお願いいたします。
_ 渡辺正 ― 2015年09月25日 22時17分48秒
返信有難うございました。
また、貴方様からの返信コメントの確認が遅くなり
すみませんでした。
「蛇山」・・・善い響きの言葉に聞こえますね?
蛇山の斜面を四つん這いで登っていた時、手足の
間をマムシがすっと這っていった鮮明な記憶が
残っています。
いわき市に住んでいますが現居所は山方の遠野町です。
勝手なお願いをして申し訳け有りませんが、
少しずつでも画像資料等を集めて行きたいと
考えています。
よろしくお願いいたします。
また、貴方様からの返信コメントの確認が遅くなり
すみませんでした。
「蛇山」・・・善い響きの言葉に聞こえますね?
蛇山の斜面を四つん這いで登っていた時、手足の
間をマムシがすっと這っていった鮮明な記憶が
残っています。
いわき市に住んでいますが現居所は山方の遠野町です。
勝手なお願いをして申し訳け有りませんが、
少しずつでも画像資料等を集めて行きたいと
考えています。
よろしくお願いいたします。
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突然のメールですみませんです。