土曜日の事ですが・・・ ― 2010年08月10日 23時33分
朝起きたときは降っていなかったのに出勤しようと思ったら雨・・急いで合羽を着て5分遅れでの出発、パラパラ程度の雨が続き会社に着いたら止んでしまった・・雲の多い1日でその後も時々雨が、この時間まだ25.7度と熱帯夜の気温・・気圧998hPa。
体が残業のパターンに馴染んできたかな、少し楽になってきました、午前中は修理依頼品の処理、午後から残業時間にかけては検査のパターンに。
撮影してきた画像が上手く取り込めずアップ出来なかった物がやっと取り込めました、土曜日にバイクを点検に出した後電車で秋葉原へ部品を買いに・・その足で千葉の津田沼まで行ってみました、しかし日記にも書きましたが行きも帰りもダイヤが乱れるとは・・。
秋葉原を離れる前に交通博物館が有った所に行ってみました、前回行ったときは建物が半分位解体されていましたが・・。
既に新地に・・
体が残業のパターンに馴染んできたかな、少し楽になってきました、午前中は修理依頼品の処理、午後から残業時間にかけては検査のパターンに。
撮影してきた画像が上手く取り込めずアップ出来なかった物がやっと取り込めました、土曜日にバイクを点検に出した後電車で秋葉原へ部品を買いに・・その足で千葉の津田沼まで行ってみました、しかし日記にも書きましたが行きも帰りもダイヤが乱れるとは・・。
秋葉原を離れる前に交通博物館が有った所に行ってみました、前回行ったときは建物が半分位解体されていましたが・・。
既に新地に・・
(この画像は工事のための併の上にカメラを持った手を伸ばし、ファインダーを覗かずに山勘撮影した物で敷地には立ち入っていません)
手前に見える段差やスロープが有る所が博物館の玄関先でした。
閉館直後後の玄関・・。
手前に見える段差やスロープが有る所が博物館の玄関先でした。
閉館直後後の玄関・・。
この段差とスロープ部分がまだ残っていますが何れ取り壊されるでしょう。
建物が無くなった事で旧万世橋駅ホームに通じる通路や煉瓦のアーチがよく見えるようになりました、以前は煉瓦アーチの中にも展示物が有ったのですが。
建物が無くなった事で旧万世橋駅ホームに通じる通路や煉瓦のアーチがよく見えるようになりました、以前は煉瓦アーチの中にも展示物が有ったのですが。
そのアーチの反対側、神田川に掛かる万世橋から見た構造物、こちらは変わっていませんね、窓の奥は交通博物館の展示スペースでした。
元万世橋駅を通過するE233系電車、奥には総武線のE231系も見えます。
元万世橋駅を通過するE233系電車、奥には総武線のE231系も見えます。
残念ながら201系は見られず・・この日も通常の運用に入っていました、途中で中央特快として下っていく201系を見ました。
津田沼まで足を伸ばしたのはこの機関車を見たかったから・・。

津田沼まで足を伸ばしたのはこの機関車を見たかったから・・。

昔、陸軍の鉄道連隊で使われていた小型蒸気機関車K2型、KはコッペルのKだと思われます。
小さい動輪ですがE型で動輪が5軸・・この機関車はK2の134号機と見られ鉄道連隊から今の西武鉄道に移籍された機関車とのこと。
廃車後は地元近くの玉川上水駅西側の藪に放置されていました、今は閉園していますがユネスコ村と言う遊園地正門前に展示され、閉園後鉄道連隊の訓練施設が有った津田沼へ移された・・と説明看板に書かれていました。
実はこの機関車と同じK2に家の父親が乗っていたのです、場所は今のいわき、今も駅は残り勿来と言う町名も残ります。
その山奥に大日本炭田と言う炭鉱がありその石炭輸送にこのK2型蒸気機関車が多数使われていたのです。
ネットで調べて津田沼に展示されていることを知り見たいと言っていた父親ですが足が弱っていて初めての所で歩ける距離かどうか解らず、代わりに撮影をしに来た次第です。
展示されているK2は西武に入ったためゲージは1067mm、炭鉱で使われていたK2はトロッコゲージとも言われる610mmで動輪は台枠の内側に入り表にはクランクとロッド類しか見えない状態でした、しかも急カーブを曲がりやすくするため第1動輪と第5動輪はロッドでの駆動ではなく歯車駆動で線路のカーブに合わせて少し首を振る構造だったそうです、しかしこの構造が問題でよくトラブルを起こしたと父親から聞かされました。
廃車後は地元近くの玉川上水駅西側の藪に放置されていました、今は閉園していますがユネスコ村と言う遊園地正門前に展示され、閉園後鉄道連隊の訓練施設が有った津田沼へ移された・・と説明看板に書かれていました。
実はこの機関車と同じK2に家の父親が乗っていたのです、場所は今のいわき、今も駅は残り勿来と言う町名も残ります。
その山奥に大日本炭田と言う炭鉱がありその石炭輸送にこのK2型蒸気機関車が多数使われていたのです。
ネットで調べて津田沼に展示されていることを知り見たいと言っていた父親ですが足が弱っていて初めての所で歩ける距離かどうか解らず、代わりに撮影をしに来た次第です。
展示されているK2は西武に入ったためゲージは1067mm、炭鉱で使われていたK2はトロッコゲージとも言われる610mmで動輪は台枠の内側に入り表にはクランクとロッド類しか見えない状態でした、しかも急カーブを曲がりやすくするため第1動輪と第5動輪はロッドでの駆動ではなく歯車駆動で線路のカーブに合わせて少し首を振る構造だったそうです、しかしこの構造が問題でよくトラブルを起こしたと父親から聞かされました。
台枠の外に動輪を付けると1067mmとなりこの場合は首振り機構は使えません、でも第3動輪はカーブの通過を容易にするため画像のようにフランジがない車輪になります、610mmでもフランジは無かったとのことです。
展示車は残念なことにクロスヘッドから第3動輪を結ぶメインロッドが欠落しているのです、木製のダミーでも良いので取り付けられると良いのですが。
炭鉱で使われたK2は消息不明で一両が国鉄時代の土崎工場に保管され動態復元の話が有ったのですがJRに移行後どさくさに紛れて解体されてしまったと聞きます。
展示車の運転台は機器類が殆ど無く放置時代に無くなっていたのかも知れません。
土曜日はこの様な1日になっていました。
展示車は残念なことにクロスヘッドから第3動輪を結ぶメインロッドが欠落しているのです、木製のダミーでも良いので取り付けられると良いのですが。
炭鉱で使われたK2は消息不明で一両が国鉄時代の土崎工場に保管され動態復元の話が有ったのですがJRに移行後どさくさに紛れて解体されてしまったと聞きます。
展示車の運転台は機器類が殆ど無く放置時代に無くなっていたのかも知れません。
土曜日はこの様な1日になっていました。






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